Tieffenbruckerのworkshopの建物まで行ってきました。
“A History of the Lute from Antiquity to the Renaissance"に紹介されていたそのままの建物がありました。
狭い路地を通って行くんですね。”道”の広さの感覚が日本と違っているので、見過ごして通過してしまうところでした。日本流に言えば、家と家の隙間にある狭い路地なので、「その家に用のない人は通ってはいけない」というような感覚です。
でも、建物の壁面に"Calle dei stagneri"と通りの名前が書かれているので、これでよいのだということがわかります。ベネティアには人がすれ違えない程の狭い道もあるようです。
場所の特定にはパドヴァのリュート製作家Paolo Busato氏からアドバイスももらいました。
手前の運河はしきりにゴンドラが行き交いし、正に、ベネティアの空気を漂わせていました。
こんな水辺でリュートが作られていたのかと感慨深いものがありました。
“A History of the Lute from Antiquity to the Renaissance"に紹介されていたそのままの建物がありました。
狭い路地を通って行くんですね。”道”の広さの感覚が日本と違っているので、見過ごして通過してしまうところでした。日本流に言えば、家と家の隙間にある狭い路地なので、「その家に用のない人は通ってはいけない」というような感覚です。
でも、建物の壁面に"Calle dei stagneri"と通りの名前が書かれているので、これでよいのだということがわかります。ベネティアには人がすれ違えない程の狭い道もあるようです。
場所の特定にはパドヴァのリュート製作家Paolo Busato氏からアドバイスももらいました。
手前の運河はしきりにゴンドラが行き交いし、正に、ベネティアの空気を漂わせていました。
こんな水辺でリュートが作られていたのかと感慨深いものがありました。